三月四日 冬に逆戻り | keiの歌日記

三月四日 冬に逆戻り

だい今日は床屋へ行った

寒い街

明後日、東京が心配

歌詞「ナイル三月号着信

主宰が三首取り上げてくれた

そのうちの一首

 *死は詩もて贖うべきや氷雨降る中にコクトーぶりの縊死体


 佳作。物語に客観性は薄いが広がりがある。私は、この歌から

 六十年安保闘争の時の岸上大作を思い出した。十二月の氷雨降る

 朝、ブロバリン八十錠を飲んでなお死に切れなかった岸上は、

 アパートの窓に縊死体となってぶらさ下がっていた。(評)


 取り上げられただけで嬉しい。

 

人生の終末期を迎えて、今までの短歌人生を振り返ってみるのも

一興かなとふと思った。

 折に触れて書いていくことにする。

 
 昭和二十三年(旧制中学四年生)飛騨高山へ汽車通学していた頃

国語の宿題に短歌を作って来るのがあった。

残念ながらその作品は覚えていない。ただ、先生がいたく気に入って

地方の短歌結社へ入ることを薦めてくれた。

 興味半分で投稿した。

 啄木に傾倒していた私は、一も二も無く啄木まがいの数首を出した。

 これは記録に残っている。

 *啄木の歌詠み耽るこの頃は淋しくなりぬ啄木に似て

  評:啄木のリフレインが佳い

 *石をもて追はれし人のなにがなしわが影に似るを淋しく思ひぬ

 *さばかりのこととは言へどさばかりのことに嘆きぬ君にしあれば

 
 その後受験勉強で短歌どころではなくなり、自然脱会、運良く医大

 に合格。某市へ移住、下宿生活を始める。

 大人ぶっても十九の若造、故郷に残してきたベアトリエチェ忘じが

 たく、盛んに恋歌を作っていたが、発表の場も無く、古いノートに

 記し、お蔵入り。

 *木漏れ日に影長うして君と吾ただ歩むなり野の果ての道

 *緑映ゆ夏暗くしてこの森に君と吾とは柔くひかれり

 *森をゆくふたりさみしきものありて夏の木立の風に泣きゐる


 たった一度の”逢引き”(手を握る事すらなかった!)を、

後生大事に胸に抱いて、数限りない恋歌?らしきものを濫作した

が、根暗な性格は未だに引きずっている。

閑話休題

 次回からはわがささやかな女性遍歴について書こう。時効だから?




明日、明後日と休みにします。東京歌舞伎座へ勘三郎の

襲名興行を見に行くので。 題詠マラソンも073額まででストップ

ごめんなさい。