三月二十八日(月) 曇り | keiの歌日記

三月二十八日(月) 曇り

  雑誌「演劇界」四月号を見て

 先ず歌舞伎座編の劇評欄を開く。水落 潔氏、上村以和於氏両大家が、昼夜通しで全狂言を評しておられる。
拙評と、当らずともいえど遠からず、まずほっとした。勘三郎への評価はすこぶる高い。当然だろう。「俊寛」の幸四郎の手馴れた俊寛を、水落氏は持ち役で芸風に合っている。と納得し、上村氏は仁、柄とも
彼に適している
。と、二人とも彼が最も演じやすい役だから・・と説いている。まあ異論は無い。わたしはそれを、ニンに溺れすぎた、(型に嵌り過ぎ)と観たのだが・・。
段四郎の瀬尾はわたしと同じく評価が高い。魁春の千鳥は、やや評価が割れたか。
勘三郎への賛辞は全狂言に於いて止まる所を知らない。普段、やや辛口の多い上村氏がこんなに持ち上げて評することは無いのに、とやや唖然とする。だが、
ファンとしてはうれしい限り。

続いて京都南座編。森西真弓氏の評、小生,寡聞にしてこの人を知らなかったが、
筋の説明に大半を費やし、肝腎の評が少々疎かになってしまった。限られた紙数では仕方がなかったのだろう。ややガッカリ。
 
やってみてよく解かったが、芝居の評はむつかしい。感想にとどめて置く程度が我々素人には応分のことだろう。
 でも面白かった。これに懲りず挑戦したい。



今日の歌

*飾るもの総べて在らざり浴槽のなかにほんとうの「私」が居る

*また一つ饐え落ちてゆく葉をせめて焚かむ自己愛という暖炉に

*過去という苦き味覚に浸りつつなお恋うものを欲る自虐癖

*ただ一語「死」と在る詩集 残されし空白に春の月は輝く

*わたくしがわたくしである不思議さに耐えず待つ薄墨の夕映え

*丸めたる掌に包み持つ夕闇のひとかけら在り春雨終日

*春冷えのやがて肩より背に下る音閑吟の身にし泌む夕

*深く澄むこころへ寄らず終夜哭く雨に乱されいるも哀しき

*冷やかなる侮蔑を知りぬ若き等の無言に果実のごとき充足

*充足というにあらねど身ひとつを沈めつつ湯に淫ける週末