四月十七日(日) 歌人論 (私論「春日井 建」) | keiの歌日記

四月十七日(日) 歌人論 (私論「春日井 建」)

    私論「春日井 建」

ーー倦くるなき自己への執着ーー

人間は凡そ二歳半から三歳になると自我を持つようになる。誰教えるとも無くその世界が百パーセント自己で占めていると知る。それは、完全無欠の「自己世界}であり情」が他に移ることはない。母への執着も全き自己保持の必然から来るもので、愛情などでは微塵もない。

 前頭葉の発達と共にその世界は徐々に拡大されて行き、自己以外の他者に対しての関心も芽吹いて来るわけである。

 情感の原初としての自己認識は自己に対する愛にかわり、そして自己の原点である母、男の子であれば自己と同性としての父親、そしてやがて同性の他者へと向けられてゆく。すべてこれは自我の延長として、である。

 異性に対する感情は、感性の完熟の最後に、即ち思春期になってはじめて出現する。

 此処に到るまで自我意識は必ず曳引して来るものであり、その感情発達の途上で何かのモメントがあると、或いは母親に、父親に、又は同性に対する意識が強くなり過ぎるかそこで止まってしまう場合が往々ある。

 春日井 建に則して言うならば、対象として彼が歌ったものは、常に異常なまでの自己に対する愛であり、母、父に対する思いであり同性の友への執着であった。ただ一つの例外として同腹の妹に対する感情を歌ったものが異性に対する献歌として在るだけだ。それも、後述するが、自己に偏した対象としてそれは歌われているだけで、ついに普遍的な相聞は彼が歌を中絶するまで見られなかった。 

 

*空の美貌を怖れて泣きし幼年期より泡立つ声のしたたるわたし

 

*太陽が欲しくて父を怒らせし日より空しきものばかり恋ふ

 

*太陽を恋ひ焦がれつつ開かれぬ硬き岩屋に少年は棲む

 

*声あげてひとり語るは青空の底につながる眩しき遊戯

 

*唇に蛾の銀粉をまぶしつつ己れを恋ひし野の少年期

 

 少年は自己を空に投影してその蔭を恋い焦がれた。そしてそんな自己を生み出した母、父に対する屈折した愛憎の形を増幅してゆき、これは又同腹の兄、妹にも及ぶ。

 

*胎壁に胎児のわれは唇を就け母の血吸ひしを渇きて思ふ

 

*鎧扉より卵黄の陽がしづくせり知らざる母を盗み知りたき

 

*己が子のにがき生きざま見むがため父は晩年を執念く生きむ

 

*輝ける不毛の糧よ隠し持つ肉葉樹の蔭の兄の印画紙

 

*喉しぼる鎖を父へ巻く力もつと知りたる朝はやすけし

 

*弟に奪われまいと母の乳房をふたつ持ちしとき自我は生れき

 

 妹への思慕は、彼女をしていつまでも潔くあれかしと希う気持ちに発展する。

 

*いらいらと降る雪かぶり白髪となれば久遠に子を生むなかれ

 

*少女よ下卑となりてわが子を宿さむかあるひは凛々しき雪女たれ

 

*樹がくれの白馬岳(はくば)を仰ぐ頬きよく処女妻として汝よ生きゆけ

 

 そしてやがて彼の愛着は逞しき男性に執してゆく。

 

*牛飼座空にかたむき遠くわれに性愛を教へくれし農夫よ

 

*風は光を渦にして吹く逞ましき腕が肩抱くを求めゐる子に

 

*木馬の首抱きて揺れつつ少年は相呼ぶ夜の熱き眼をせり

 

*男囚のはげしき胸に抱かれて鳩はしたたる泥汗を吸ふ

 

*荒くれを愛せしわれの断罪か暗き獄舎を恋ひやまぬなり

 

 やがて受身の愛は能動的なものへその形を変え少年を愛する姿になる。

 

*埴輪青年のくらき眼窩にそそぎこむ与へるのみの愛は冷たく

 

*草笛を吹きゐる友の澄む息がわがため弾みて吐かれむ日あれ

 

*少年の眼が青貝に似て恋ふる夜の海鳴りとうら若き漁夫

 

*蒸しタオルにベッドの裸身ふきゆけばわれへの愛の棲む胸かたし

 

*わが手にて土葬をしたしむらさきの死斑を浮かす少年の首

 

*イヴの股いとえるこころ痛みつつ樹よりさびしき男娼を抱く

 

 倫理に対する自責と己れの情感との落差に彼は悩み、その歪みが彼をサデイステイクな方向へと磁場を

向けさせる。

 

*遥かなるわが裡は男巫(おとこみこ)ならむ瞋恚(いか)れば霏々として雪が降る 

 

*赤児にて聖なる乳首吸ひたるを終としわれは女を恋はず

 

*わかものの婚姻の日をいつか過ぎ薔薇垣くらく潰れゆく雨季

 

*交合は清冽にして筋肉に添ひてすべれる汗ひとしずく

 

 抽出の歌には自己に対するどうしようもない呵責がみられる、が、それから開き直りが彼を、心を納得させてゆく。

 

*吐シャしゐる白んぼをみる目の燃えてわれに確かな性格破産

 

*わが打てるましろき背や血吸蛭(ちすいびる)が這ひずりまはりゐるとも思ふ

 

*夜の海の絡みくる藻にひきずられ沈むべき若き児がほしきかな

 

*背徳狂と呼ばれゐる背に陽の縞は揺らぐ焙られてやがては死なむ

 

*磔刑の絵を血ばしりて眺めをるときわが悪相も輝かむか

 

その開き直りが彼の歌をむしろ快いものとして次第に読者の中に入ってくる。

 

*逞しく草の葉なびきし開拓地つねに夜明に男根は立つ

 

*獅子座うめたき夜天にふさふ友なれば宇宙のはてに死なむか孤り

 

*刺殺少年われならずやと眩しめば青き葡萄の胃にしみたりき

 

 そしてとうとう彼は、幼年期に自身を投影して恋い酔った空を、太陽を犯してしまう。

 

*太陽は身重のごとしめくるめくわが子を遠く宿したるらし

 

*われ似る子いづこかの土地に生れしならむ分娩のごとき白雲が湧く

 

 ついに彼は娶らず歌も捨ててしまった。捨てざるを得ない自己破壊があったのだろうと私は信じている。

 最近(1985年現在)、空白を置いて再び歌作の世界に還る気配を見せている彼を知って、故郷を近くする私はある種の喜びと、いささかの不安を抱いてそっと見守っている。

              1985.7                     立木葉司(当時のペンネーム)

 

付記:昨年突然不帰の客となられたことを知った。心から哀悼の意を表してこの文を閉じる。