四月十五日(金) 再び歌人論 | keiの歌日記

四月十五日(金) 再び歌人論

   私論「岡井 隆」

ーー再出発に際しての思考ーー

 

「六十年安保」とは果たして何であったか。

つねに冷ややかな傍観者でしかなかった私にとって、「安保」は、僅かに残っていた貧弱な,私のうたごころを、その政治的、革命的、思想的リアリズムと云う、凡そ生理的に私の肌に合わぬ"錦の御旗と矛”で撫で斬りにして行っただけのものでしかなかった。必然的に私は歌から逃げ出して目をつぶることになる。

従って「安保」を舞台に華やかにに登場した多くの歌人達については全く無知であった。

 岡井 隆についても同様である。

 人生の黄昏がほの見えて来たこの頃、私にも詩の女神が再び微笑みかけ、心の赴くまま読み漁りたくなったのは、啄木,夕暮、茂吉であり、現代歌壇の状況には疎遠であったが、実作を始めるとそうは云って居られなくなった。走りだした私の眼前に大きな岩が突然露呈した。それは避けて通ることを許さぬ、かと云って乗り越え得べくもない大きな岩ーー岡井 隆であった。私が歌に対して盲目でいた二十年にこの世界は大きく迂回して、今、所謂「安保リアリズムは,私にアレルギーを起こさせることのないほど遥かなものになっている。私は安心して歌作に没頭しているし、「歌人」岡井 隆に偏見なく対峙できそうなのは、実はこの二十年の盲(めしい)のおかげであるのかも知れない。短歌の根源は「もののあわれ}である、とはいつか書いたことがある。したがってある種のフィルターが懸かっていることは云うまでもない。

 岡井 隆と私の間に二、三の共通項がある。昭和一桁、医師、逃亡者・・・。だが、尺度の違う物差しも当然多い。私は病理学者ではないし、マルクス・シンパもない。彼ほどの行動力も実力も持っていない。だが臆病者であり短調を好む寂者である(勿論彼の場合、彼がそう書いていることを信じるほかないが)ということ、医師であること、それだけでもかなり私に彼への理解の糸口を与えてくれると考えている。

 一首を曳こう。

 

*立ち合いし死を記入してカルテ閉ずしずかに袖がよごれ来る夜半(斉唱)

 

何がかれの袖を汚したのか既論はいろいろある。だが、これこそ彼の鬱の心のいろではなかろうか。自信(よい意味での)の完成されていない医師が死に対峙した時の何とも言えぬやるせなさは、経験のある私にはよくわかるし「しずかに袖がよごれ来る]はその意味で云い得て妙である。

 

*病む心ついに判らぬものだからただ置きて去る冬の花束(心の花束)

 

たとえ医師であっても病者の屈折した折々の心の綾は判ろうはずはない。それは「冬の花束」のように美しげに見えても実は場違いなものである。普通医師は病者に花束など贈らない。それは、なべて花の命は短いものであるので病む人の心はその運命を思う時決して和みはしないことを知っているから。贈るとすれば不明な病者の心に相似た「冬の花束」はまさに格好なもの(恐らくこの歌は虚構であろうが一向に構わない)

と、岡井は思ったのだろう。

 

*夜半死に到るなるべし昏々と黄に染りつつ睡る処女は(天の涙)

 

肝昏睡で死に瀕している少女を前に、なすすべを失った無能の医師の姿が目のあたり見える。少女は処女でなければならぬ。肝昏睡は普通老人に多い。若くして汚れを知らぬ処女が何ゆえ昏睡死に到るほど肝臓を痛めたのか、思いはそこにある。

 

*暗黒につかうるもののたのしさをあらき拍手もて褒めつつ行けり(狩人)

 

これを医師である自身に対する自虐ととるのは暴論だろうか。私も毎日「暗黒につかうるもの」のたのしさかなしさを痛いほど感じているので、歌意をそのように取ることによってこの歌を信頼している。

 

*九つの出口入り口えらぶべきひとつはとうもろこし匂うかな(少年期に関するエスキス)

 

人間の体は外界に対して九箇所の開口部を持っている。(女性は十箇所であるがここでは九箇所でなければならぬ)

 彼はそのここのつのうち、とうもろこしの匂う出口を選ぶと言う。何故だろう。次の一首を対比させよう。

 

*地下道の七つの出口、わが選ぶ嘲弄たえず下りくる口を(私をめぐる輪舞(ロンド))

 

ここで彼は嘲弄たえず下りくる口を選ぶと言っている。これは間違いなくアーヌスだと私は解している。ここで九つのくちが七つになっているのは双眼を閉じた様を思えばいい。

即ち彼は、とうもろこしの匂うような、普通(なみ)の感覚人からは嘲弄されるであろうけれどと暗喩も入れて

下りくる口、アーヌスに対する願望をシャイに歌っているのである。

 決定的な次の一首を引くまでもなく、彼には特殊な嗜癖の一面があることを思わせる。

 

*わが愛して捨てし少年たくましき肩して陶工の中に際立つ(ふるさとの唄)

 

折口信夫にもそれを思わせるがごとき歌ないことはないし、彼も折口のその思いについて歌っている

 

*惑溺し居しひとときの「折口」は悲し継ぐべき境ならねば(天河庭園)

 

折口の歌は岡井の歌ほど濃厚な翳は見られない。

 断っておくが私は岡井氏を非難するのでは決してない。むしろこういう讃美を歌える彼に敬意を持つし、かくの如く歌つてしまつた為に却って歌が浄化され、逆にわからなくしているのを惜しむのである。

 それがこの種の岡井の歌について誤った解釈(イデオロギーと結びつけての)や、ありきたりの評価や、或いは無視がなされているのが少々歯がゆいのだ。

 作品に触れてどう感じようと「読者」には赦されることだし、読者の権利でもあろう。

 秀歌と言われている岡井の作品は数多くある。それに就いて触れるるには私は余りに無力で在るし、既論の蒸し返しに終わってしまう。だから私は彼との共通項の上に立って、精一杯背伸びして取り組んでみたが、この岩は大きく、固く蟷螂の斧どころか、蟻の一なめにもならなかった気がしてならない。紙数が赦せばふたなめもみなめもしてみたい誘惑を断ち切りがたく思ってもいる。

最後に、岡井氏、及び、その作品に対しての勝手な曲解偏見に終始してしまったことをお詫びしてつぎの機会に譲る。

                1985.6.

                                                                                                                   立木葉司(当時のペンネーム)

 

  今日の歌

 

*既に枯れし詩葉在るなり白薔薇の芽吹く若樹を焚けば炎中に

 

*待たるるは吾かはた敵か少年は掌を薄ら陽の中に振り居り

 

*大樹すでに影失いぬ背後より忍び寄る黄昏の余光に

 

*樹を巡る闇にひととき熔け入りてゆかばや孤独にやや疎みたり

 

*終幕を告げて喜劇の消えゆきぬ こころ垂鉛のまま視る虹