☆☆☆アンソロジー『洗濯船が夢を見る』☆☆☆の最終稿
合同歌集『洗濯船が夢を見る』の最終稿が届いた。発刊は少し遅れて四月十五日とのこと。
記録を後々の為に残して置くこととする。
秋陽の映ゆ 船坂圭之介
絶望の壁しか見えぬ過しかたの無意味に哭きぬ やがて晩秋
十月の風にかなしき唄を聴くや老いたる駑馬の耳ふいに立つ
秋の夜のそらの深処に捨てばやなうつし身のわが愛という星
夜は重く背に肩にあり鬱うつと言葉ひとつも無く無為に耐う
黄昏の雨かなしみは去らずしてこの生の日になに意味やある
残念のひとつとも見ゆ落日のなか熟るるまま腐ちるいちじく
ただ一を得んために賭す何も無し 秋 天空は果てもなく蒼
たましいの抜け殻のごと動かざる夜霧にくらしわがひとり影
秋の水のどに昂ぶる霧の朝をはしれ悍馬のごとく「かなしみ」
羽ばたかぬまま数尺を鳥は墜つかく簡明に望み得ず・・死は
ゆたかなる頬しろくして落日のなかにわが偏愛の「影」あり
乱舞するこころもすでに遠くして褐色の死を恋うごとく居る
たそがれは秋ゆえくらし王冠のごとき腋窩によどむ 夕陽
〔夕陽=せきよう)
薄荷酒の酸ゆく在りたりかの白き足裏揺れつつ居たり秋の夜
(足裏=あうら)
つきしろのやや寒がてに秋のそら静寂よわがこころゆるすな
秋を背に風のはやさへ堕天使の汝かかぐわしく髪ほつれさせ
くぐまりて陽のしたを行く幾たびの秋に別離の足音聴きつつ
(足音=あおと)
あおざめし肌 血脈のきずなとはいえどかわたれどきの眩暈
さざ波の音さえ知らぬ偏執狂たりし過の日の薔薇戀うるなる
影あわく寄らしめて樹は蒼空へ我執とは斯くゆるがざるもの
シリウスの映ゆる海面にかぜ絶えり茫と寂たる今日 九月盡
(海面=うなも)
夕陽に背炙られつつ戻り得ぬ道ひたはしる かなし 秋とは
(夕陽=せきよう)
逐情に似たるふるえを足うらにわらうべし 秋 雷鳴に酔う
苦おしきこころ思おゆ森の果てにかのイカロスは翼墜しめし
(翼=よく)
盲いてもししむらは在りこころ在り背に煩悩の汗よかがやけ
たくましき心は持たずビイドロの瓶に夕陽の朱けは映ゆとも
わくら葉の掌に重し秋 迷いつつわが行く道の謀りごとめく
されどわが日々はあらざり逝く秋の野に嵐こそふさう世紀や
●思い出すことなど
旧制中学四年(今で言う高校の一年)の、国語の宿題で短歌を作ってくるのが
あった。
当時、啄木に耽溺していた私は
◎啄木の歌読みふけるこの頃は淋しくなりぬ啄木に似て
を提出した。国語の教師がいたく気に入ってくれ、地方の短歌結社へ半ば強引
に入会させられた。以来一年間、大人の達人に揉まれ、叩かれ、それでも作歌
の醍醐味を楽しんだ。
やがて大学受験のため心ならずも作歌中断、さいわい医科大学に合格、旧制
のため予科が三年あり、同好の士が集い、短詩形同好会のような集まりを持っ
た。ところが短歌は古くさいと、強引に現代詩に一本化され詩作に励むこととな
った。
予科の三年は詩作に一所懸命で楽しかった。本科へ入学するとさすがに暇が
無くなった。自然と詩のための世界からも遠ざかり、文系の雑事は一切捨てざ
るを得なかった。
やがて卒業、修練を終え医師となり、やがて地方の病院への赴任が決まり各
所を転々、最終的に現在地に到り、そのうち、あるご縁から I 師のお誘いを受
け、H 結社へ入会。数年間かなり充実した星霜を送らせて頂いたが、意に反す
る私事の為に残念ながら筆を絶つ。
その後、長年連れ添った妻に先立たれ、自身も腎を痛め人工透析生活に入る。
前途に”死”以外の何物も見出せぬ不穏の生活の中、たまたまネットのあちこち
を彷徨している内、ナイルを知りお仲間させて頂こうと思い立ち入会。主宰はじめ
編集委員の暖かい見守りの中、只今現在は充実した短歌生活を送っている。
ネットの中では、若い人たちが多く、少なからぬ刺激を受けながら、あちこちの
オンラインの歌会などに参加して悲喜こもごもの評価に一喜一憂しながら、これ
またひとつの生きがいと、日ごとややもすれば前途に悲観の目しか向けざるを
得ない灰色の透析生活を、少しでも楽しくと願っているこの頃である。