三月六日(月) 万葉の恋歌新訳抄 (終) 奈良大学教授 上野 誠氏訳   | keiの歌日記

三月六日(月) 万葉の恋歌新訳抄 (終) 奈良大学教授 上野 誠氏訳  

一、それでも顔にでちまうよ、馬鹿だな俺も。

 顔に出して

 気持ちを表したなら

 他人さんはお見通しさ・・・

 心の中の

 隠し妻のことは

 --今はがまん

 --今は秘密


   色に」出でて

   恋ひば

   人見て

   知りぬべし

   心の中(うち)の

   隠(こご)り妻はも

             (作者未詳 巻十一の二五六六)


 「色に出でて」「恋ふ」というのは、顔色や表情

 に公表していない内縁関係にある妻をいう言葉。

 つまり、二人は他人の前では、無関係を装ってい

 たのであろう。何時公表するか,誰から話すか、

 そこに処世術の機微がある。


二、そうなんだよ。人妻てぇヤツは、よく見える

   んだよね。

色でいえば赤い光

赤い光を放つようなあの女の美貌

それを俺は幾度となく見てしまった

人妻であると知りながら・・・

ちくしょう! やられた!

俺さまはあの女のことを

もう恋しく思ってしまっているーー

 

   赤らひく

   色ぐはし子を

   しば見れば

   人妻故に

   我(あれ)恋ひぬべし

           (七夕歌 作者未詳 巻十の一九九九)

 

 七夕歌だが、市井の男の恋歌として、訳してみ

た。 「赤らひく 色ぐはし子」は、赤く照り輝くが

ごとき美しささをもっていることをいう。化粧を歌

ったものとする解釈もあるが、無粋ではないか。

私は、赤い光のように男の視線を釘づけにする美

貌を喩えたものみたい。


三、それをいったら、おしまいだよ。ほんとに。


 口に出して言ってしまえば

 「恋」なんてうすっぺらな言葉だよ・・・

 でもね、アタイはね、忘れないよ、アンタのこ

 と。

 たとえ、恋に狂って、死んじまったとしてもね

ーーー


   恋といへば

   薄きことなり

   然れども

   我(あれ)は忘れじ

   恋は死ぬとも

        (作者未詳 巻十二の二九三九)


 確かに、「恋」といってしまえば、たかがそれだ

けのこと。 言葉などというものは、重いの万分の

一も伝えてはくれない。これは、古今の哲学者と

文学者が口をすっぱくして説いているところだ。

だから、言葉の本当の重みを知った人は、無口に

なる。この訳は、教養はなくても、自らの思いを

正確に伝えようとした女のまごころの声として、

訳してみた。


四、あんな馬鹿なヤツに惚れるとはねぇー。


 どうせ嘘をつくんだったらさ

 もうちょっとほんとらしく言ってちょうだいよ

 ねーー。

 いったいいつの時代から

 あったばかりの人に

 恋焦がれて死ぬなんて・・・

 しらじらしく言うようになったのかしら。

 最近はこれだからね。まったく!


     偽りりも

     似付きてぞする

     何時よりか

     見ぬ人恋ひに

     人の死にする

(作者未詳 巻十一の二五七二)


 「見ぬ人恋日に 人の死にする」はわかりにく

い表現だが、見たこともない人に恋をして、その

ために死ぬということである。 まだ、知り合って

間もない相手から、突然言い寄られたのであろう。

そこは、お見通しで、男が欲しいのは、金か体か

と女は覚ったのだろろう。冒頭の二句は、「馬鹿も休

み休み言いなさい」というくらいの意味に解釈し

てよい。

 

五、だったら、出てやろうか・・・君の今夜見る

  夢の中に。

男から女への問い

  そんなの迷信だと思うけど

  袖を折り返して寝ると

  夢の中で思う人に逢えるんだって

  今、君への思いはつのるばかり

  だから、袖を折り返して寝たよ・・・

ーー僕の姿を夢で見たかい?


   我妹子(わぎもこ)に

   恋ひですべなみ

   白たへの

   袖返ししは

   夢に見えきや

         (作者未詳 巻十一の二八一二)


女から男への答え

  アナタが

  袖を折って寝た寄るの夢だったんだー。やっぱし。

  見た!見た!逢えたよ!逢えた!

  ほんとのアナタと

  デートしたみたいにーー。


      我が背子が

      袖返す寄るの

      夢(いめ)ならし

      まことも君に

      逢ひたるごとし

             (作者未詳 巻十一の二八一三)


 肉体から離れた霊魂は、時間と空間を超越する。

だから、逢えない二人も、夢の中なら、デートが

できるというわけだ。誰にも邪魔されずに。その

ためにしたのが、「袖返し」のまじないである。袖

を折って寝ると、相手の夢の世界に侵入できると

信じられていたのであろう。それを男は確認した

かったのである。女は答える。「まこもとも君に

逢ひたるごとし」と。メデタシ、メデタシ。


六、やっぱり、彼氏がはじめて家に来る日ってプ

   レッシャーだよね。

女から男への問い

  アンタがね

  来るとね、前々からわかってたらさ

  草ボウボウのね庭であってもだよ、これが、

  きれいな小石でも撒いておくんだったよ

  そうすりゃ、カッコついたんだけどねー・・・

  ゴメン!


      思ふ人

      来むと知りせば

      八重むぐら

      覆へる庭に

      玉敷かましを

            (作者未詳 巻十一の二八二四

男から女への答え

  ええっ・・・何いってんだい

  小石敷いた家なんて

  いらねぇよ、そんなもん。

  オメエと居りゃー

  ---そりゃー、そりゃー


        玉敷ける

        家も何せむ

        八重むぐら

        覆へる小屋も

        妹(いも)と居(おり)てば

                     (作者未詳 巻十一の二八二五)


 「八重むぐら 覆へる庭」とは、つる草に覆わ

れているような庭。まあ、荒れ放題なのだろう。

女は男の突然の訪問に、ゴメンねぇー、こんな

状態でぇー、と詫びているのである。しかし、そ

れはいわばご挨拶。別に気にしている風でもない。

「玉を敷く」という表現は、オーバーにいって笑い

を取ろうするものである。男も、そのあたりは

お見通しで、おんぼろ小屋でも、お前といっしょ

ならいいよ、と洒落込んでいる。ヤルコトデキリ

ャイインデショ、という呼吸があるように思われ

る。下品な解釈とはなるが・・・。


 (奈良保存財団発行 "明日香風 第98号”より抜粋)