keiの歌日記 -33ページ目

五月六日(金) 悉曇の歌に就いて「大いなる古の智慧」 第一部

「悉曇」に就いて

 先ず「広辞苑」を曳いてみよう。

梵語(siddaham  成就、吉祥の意)梵字の字母。転じて、インドの音声に関する学問梵語をいう。広くは摩多(また)(母音)と体文(たいもん)(子音)とぉ総称し、音節と同義。狭くは摩多の十二韻のみを指す。中国では隋代にはじめて悉曇の称があり、わが国には天平(729~749)年間南インドから伝わる。法隆寺の古貝葉(こばいよう)の文字は字体がすぐれて有名。元慶(877~885)年間、安然に「悉曇蔵」の著がある。五十音の配列には悉曇の影響顕著。→梵字。


梵字:梵語すなわちサンスクリットを記すのに用いる文字。字体は種々あるが、わが国では主として悉曇(知ったん)文字を用いてきた。


五十音図:五十音を音声の種類に従って縦・横に連ねた図で、子音の同じものを同行、韻の同じものを同段としたもの。すなわち、ア・イ・ウ・エ・オの母音を第一行に置き、カ・サ・タ・ナ・ハ・マ・ヤ・ラ・ワの各順で各行に配当。国語音に存する縦横相通の原理を悉曇の知識によって整理して成ったものか。また、悉曇より出たもの、漢字の反切(はんせつ)のために作られたものなど、その発生については諸説がある。


解かりやすく言うと、和歌の頭韻を各句に置いて読む歌。

 二種類あって、例えば ア・・・・ ア・・・・・・ ア・・・・ ア・・・・・・ ア・・・・・・。

 と、ア・・・・イ・・・・・ウ・・・・ エ・・・・・・オ・・・・・・の二種類。

  

 今年、私は挑戦して「氷原」誌上に発表した。此処に再掲載する。 但し、PCでは書けない漢字も出て来るのでそこは適宜対応して行く。


1:ア  新しき明日はあらじと贖えるアニスの香り良きア・ラ・カルト


2:イ  生き死には言うないとしき逝きしひと没り陽一途にいま磯に入る


3:ウ  うつくしき嘘売る売り子裏路地のういろう薄墨色の憂鬱


4:エ  選ばれし笑顔が得たるエニシダの枝に炎天下のエピローグ


5:オ  女郎花遅咲くなゆめ雄ごころを老いて措きたるおのがためにも


6:カ  かきつばたかがまり嗅げばかそけくも函(かたみ)溢るるかぐわしき香よ


7:キ  黄ばみたる胡瓜樹に鳴ききしきしと軋む記憶の傷を切り裂く


8:ク  くさぐさの苦労無となりくちびるに梔子の香のする苦味チンキ


9:ケ  げに人は結縁に生く血脈のけして結滞せざる経絡


10:コ  こまどりの恋か 枯骨の此の身にもこころよき声「こころ・こころ」と


11:サ  さわさわと爽立つ(さわだつ)峡谷(さわ)の沢桔梗咲く花に照る細好男(ささらえおとこ)


12:シ  詩歌知らず四月尽日しらなみの深夜自死せる志士ありとかや


13:ス  酔狂に過ぎたる末は捨てゆかん擦れ違う日々すでに煤色


14:セ  青春の背に積怨の責め負うや青年は伏すゼラニウム園


15:ソ  その想い空行く橇に添わすべくそぞろ奏せんその想夫恋


16:タ  例うればたらちねは愛 佇まう他界・たそがれいろのたまゆら


17:チ  乳房もて血を贖いし母を待つ父と恥辱の遅進児の次子


18:ツ  罪とがを言うな椿よ露籠もるなか土へ逝く妻にしあれば


19:テ  てのひらに照る月影や出逢いたる敵に手と手を合わせた夜


20:ト   とめどなく遠くとどろく時の鐘 時すでに遅し友の葬い

  (つづく)       


 

五月五日(木) 塚本邦雄論を終わって

塚本邦雄湊合歌集を詠み終わって、些か混乱状態である。

膨大な歌の数にも圧倒されたが、一環して流れて居る、彼の言葉に対する執着と、歌をこよなく愛する強い思いにこっちの心も随分動かされた。機会を見て、じっくり歌の鑑賞を亦、してみたい。

 今日からは、以前に戻って、思いつくままと、その日の随想を記して行くこととする。

    さて、二十年の遅れを取り戻す為、まづ口語歌を・・・と考え、素晴らしい口語歌の作り手であるmako師匠に弟子入りして、早速勉強をはじめる。まだ、発表の段階ではないので公表はしない。

 早速、今月号の角川短歌から私が感銘した口語歌を曳いてみよう。


 *ファスナーに届かぬ指先およがせて「もすこし待ってすぐに行くから」 

                                                                                                                         今井恵子氏


*あの春の虹掻き混ぜるようさにゅさにゅとMはフルーツパフェ食い尽くす

                                                                                                                         大野道夫氏


*晴れわたる日にはとりわけ行きさきを決めないままに出てゆきたくて 

                                                                                                                        小林久美子氏


 綜合紙だからもっと多いと思ったが、寂寥たる有様で、その頻度の低さに驚いた。逆に、そんなだからいい歌が出る可能性も高いと言うことか。


 幸い、この号に、松平盟子氏の、「口語という優しく柔らかな罠」と題した面白そうな記事が載せてある。

今夜は、じっくり読んで見る。


今日の歌

*三叉路のいずれ行かばや視野の中に起伏激しく春の更けゆく


*孤木佇つ丘かぎろいて真盛りを過ぎしわが往く背に痛しかぜ


*父の座のさびしかりけりくもひとつ無き青ぞらのなかの月球


*天体のひとつあやうしはるの夜にさだかならざるわが足の下


*父は敵の思い纏いて歩み来し身にふかぶかと刺す吾子の謂


*必然にささえられたる歩を持ちていま下がりきる夜の地下街


*吉凶は言わず夏陽の薔薇の香やわが佇つ庭をよぎる 幻


*幾春を孤と鬱に耐えし胸奥の癇馬はしらす万のはなびら



どうか コメント を置いて行って下さい。これからの励みになりますから。 kei

五月四日(水)  塚本邦雄の歌  続き 新歌枕東西百景(Ⅱ)

kra

*晩夏いま心は飢うれしののめの天にうすくれなゐの花あり

        三重県一志郡嬉野町天花寺


*われ恋ふるきみは火の性(さが)爛爛とぬばたまに夜をみちびく女神

        静岡県榛原郡相良町女神


*砂金降る夢よりさめて消息すとはに生きたまへははそはの母

        茨城県久慈郡金砂郷村千寿


*みづうみもみそらももゆる夕茜絶えしや恋の雲のかけはし

         山梨県八代郡上九一色村梯(かけはし)


*白梅の都おもへば黒潮のその沖つ邊に青き月出づ

         兵庫県津名郡五色町都志大日

       

*あきざくら散るやすなはちみづうみの水さやさやと岸越す嵐

          神奈川県津久井郡相模湖町寸澤嵐


*桃源をかつて恋ヘリき沖さして早漕ぎ行かな振り向けば冬

          宮城県桃生郡雄勝町名振


 歌枕論 と題する長文の後記が十数頁に亘って記して在る。わが国はもとより、外つ国の地名も数多く挙げて、深い知識に裏づけされた薀蓄が語られて居る。とても此処に抽出するわけには行かないが、彼が最後に触れている、日本人の変質とともに、多くの、地名そのものが一つの詩歌であり、物語であったのに奇怪な大義名分のもと、或いはマキノ町、かつらぎ町が、五十になり、百になる日もこのままならさして遥かな将来ではあるまい、と詠嘆し、最後に日本が「ニッポン」に変質するの慄然と怖れる・・・と。そして、日本と呼ぶ巨大な檻には、言葉持てる豚がひねもすよすがら、ひたすら眠り続け、食べ続ける。その一人一人は、漢字制限を敢行した、あの文字殺戮者の末裔に他ならぬ・・・・・と結んでいる。傾聴に値する。折があったら、図書館ででも本書を日もひもどき、一読されよ。



海の孔雀 PAON DE MER 間奏歌集 1978年12月11日 書肆季節社刊

から

反婚黙示録   自選歌集     1979年11月10日  大和書房刊

まで

この湊合歌集の巻末の各集は、歌とともに随筆が多く、歌のみ曳いて来て論ずるのには抵抗がある。雅歌も多くて一見の価値は充分ある。

出来得べくんば図書館で一読されよ。

 長い間お目汚し願って恐縮でした。あくまで私の愚考と偏見と独断の塊で在るので誤解無きよう。

真っ当な塚本論は枚挙に暇がないほど出版されているので、そちらをご参照あれ。

 芯から草臥れました。これでまた、前の形に戻れます。



今日の歌(氷原五月号掲載歌) 悉曇歌(終わり)

*藍青のランプにひかる卵黄を裸身に呷るラム酒にまじえ (ラ)


*立冬の林檎まさしく輪廻せよ柳緑花紅流離のわれに (り)


*縷々言うな流浪のわれぞルイ骸の誄歌うたえず累月を遺る (ル)


*歴史ある礼拝堂に冷雨しきり歴然とありレゾン・デートル (レ)


*蝋梅のロウたけし香に老痩の炉に伏す身はも朗たりや冬 (ロ)


*忘れ得ぬわが恋ゆえに若き日のわななき今にわれや侘び人 (ワ)


*貝葉(ばいよう)の故(ふる)き言の葉偲びつつ調べなぞらう悉曇の歌 (終)


  注 : ”悉曇”とは、古い西域から伝わって来た古梵語の一で、日本語の五十音図はこれに由来すると言われている。古くは、聖徳太子時代に端を発するらしく、法隆寺の古貝葉(貝葉=照葉樹の葉を固め、それを紙がわりに針様のもので文字を書いたもの、木簡などより古い方法といわれている)に残っているらしい。詳しくは辞典で調べられたし。


戯れの口語歌

*何処までも孤独な夜の静けさに呑み込まれそうな私が居る


*筆癖など凡そわからぬP.Cのメールの活字君の香がして


*朝夕と確かめて見て服を替えるやっぱり君のメールを見なくちゃ


*あれこれと巡る想いに惑わされこころの隅がふっと欠けゆく


*儚げとわたしの心が呟いた 透析器の調子良くない?





        

          

     


五月三日(火) 続塚本邦雄の歌 小歌集他

雀羅帖 小歌集「雀羅の夕べ」 開催記念1976年10月16日  書肆季節社刊


白露帖 川口斎亭展に寄する頭韻鎖歌 間奏歌集 1976年11月15日 書肆季節社刊


神無月帖 塚本邦雄筆趣展記念 小歌集 1977年10月24日 書肆季節社刊


如月帖 小歌集  書肆季節社 刊


鶴涙帖  肉筆小歌集    1978年3月1日   書肆季節社 刊


惜翠帖   1978年3月1日    書肆季節社 刊


銀朱帖   1978年3月1日    書肆季節社  刊


青雲帖   1978年3月1日   書肆季節社 刊


香風帖   1978年3月1日   書肆季節社 刊


シン遊帖   1978年3月1日   書肆季節社 刊


断金帖   1978年3月1日    書肆季節社 刊


黒曜帖   黒野清宇大人の硯北に奉る頭韻鎖歌 十五首

       1978年7月9日     書肆季節社 刊


以上は献歌であり、私家用歌であり、全部引用すると膨大な歌と、私の時間的余裕とを考え合せると、此処は割愛して行かざるを得ないと決断した。もとより捨てがたい名吟も数多く在り、数ページから,十数ページ

の小歌集ばかりであるので、割愛することを許されたい。(どうしても・・と言われるなら、原本をご覧あれ)




新歌枕東西百景  間奏歌集   1978年9月15日    毎日新聞社 刊


これまた、数多の場所であるので、恣意的に私の好みで選んだ。偏向はお許しあれ。


*あかつきに干潟もうすき茜さす飽かぬ別れの君帰りこぬ

      新潟県南魚沼郡六日町君帰


*都鳥やつるるころの花見月ちりぢりの愛よみがへるな

      石川県鹿島郡鳥屋まち六日市抜月


*中空に恋の路ありいまだ見ぬおもかげによせ鈴はさや振る

      石川県珠洲郡内浦町恋路


*隈もなく秋風到りまひるさへ恋にやつれし露の身ねむる

      愛媛県上浮穴郡久万町露峰

(未完)



今日の歌

*分たれてわれに今在りそのひとの悔いかあらずか淡き移り香


*紛うなきこころの奥処知らしめしひとのその眸の中に溺るる


*理にそむき熱き湯に伏す梔子のかおり爛熟の情へ誘うえば


*あわれ一夜熱しきりなるひたいもて受くる困苦と等価値の愛


*せいねんは黒豹の眸にいろめきてわが持たぬ若き愛告白す


*血塗られて在る過去形の思慕一つ追いつ涯へと走る夜汽車

       はる

*痛ましき晩春の孤独ようた生るるこころうしないたりしおとこの


*みずからを殺むる夢は花の香のはなむけと知るおそ春の悔い

     



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五月二日(月)塚本邦雄の歌 続き 

睡唱群島 1976年6月14日 間奏歌集  文化出版局 刊


星夜唱


*罌粟散りつくしたれば未婚の男らに水甕みたすほどのゆふやみ

*夜の山河何しやすらふわが愛は見よ白罌粟のごとみのりける

 この章は九十九パーセント植物詠。全三十三首の中で、珍しく罌粟が両方にあり、水が両方読み込んである。愛情は水のごとく移ろいやすく儚いものである、ということの暗喩を見るのは不当か。


*烏貝夏はたけなは男とていのちほてればしろがねの汗

*ひぐらしの薄黄のこゑに壮年のあはれはかられやすきいのち

 ここは貝と蜩という命持つものに男の、壮年の一所懸命な運命を擬していると採っては深読み過ぎか。


花朝唱


*春あかつき肺腑はさむし夢の世のきらめく闇をさぐらむとして

*火より昏き天の空井戸わが愛を涸るるまで汲みつくせりちちは

 またしても父君のご登場。親子のえにしは永久に切れないものか。


月夕唱


*初雁は薄荷のひびき父のこゑ知らず父の死病の名知らず

*鴫はわがうつし身に火の香ふらす血縁のそのくれなゐの糸



水無月帖  小歌集  1976年6月14日  書肆季節社 刊

       (塚本邦雄墨韻展記念)

活字の配列特殊 且つ、短歌の韻律とは非なる詩につき割愛



新月祭  間奏歌集  1976年9月15日   書肆季節社 刊


Ⅰ 行きて矢を尋ねよ   サムエル 第二十章


*正餐の座に新月の光さすこころ真水のごと飢うる時


Ⅱ あけぼのの鹿の調   詩編  第二十二編


*蜉蝣(かげろふ)を本に挟みて箔となす今日みなづきの尽くるたそがれ


Ⅲ われふかき淵より   詩編  第百三十編


*朝のしろがねの水もて髪あらふあそびめよとこしへにあそべよ


Ⅳ くちびるは魂の罠   箴言  第十八章


*くちびるはたましひの罠夜の孔雀鳴きてこの恋にはかにさむし


Ⅴ 汝の目は鳩の如し  雅歌  第十二章


*實櫻は雨にさやさやさばかりの愛にこころをあそばすなかれ


Ⅵ 柘榴の花や咲きし   雅歌  第十七章


*柘榴の花も過ぎにけらしな絶縁のたよりとどかむこよひの疾風(はやて)


Ⅶ 罌粟を打つには杖   イザヤ書  第二十八章


*ひざまづきくしけづる時恋人のそびらゆらめく真白き駱駝


罌粟と馬芹

 旧約聖書は巨大な迷宮に似てゐる・・・・新約聖書の諸福音書にも理解しがたい矛盾と、あまたの不条理がひそんでをり、それがまた魅力でもあった・・・私はこれらの諸を机の左右に積み上げて十数年を過ごした・・・旧約聖書は悉く詞華でであった・・・(これ等に対する熱い思ひを)その希求を籠めて歌った・・・


 熱い思いを迸らせて巻末に書いている。その一部を偏見で取捨してここに記しておく。




今日の歌

*惚れたとは言えず愛して居ると言う春の陽ざしのなかの含羞


*「水仙の花が好きよ」と言うひとの真うしろを刺す晩春の陽が


*恥ずかしきこととおもうな犬猫もそら飛ぶ鳥も絡みつつ墜つ


*「なるようになるさ」「ほんとに?」遅春の陽さえ明日は亦昇るもの


*何時だって良いんだ君の好きなよにどうせ枯葉のような一日


*また明日、明日は無いよ神様が落として行ったたった一刻



どうか何でもいいですからコメントを残していって下さい。お願いします。

                  

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五月一日(日) 塚本邦雄の短歌「透明文法」其の②

承前


少年展翅板


*愛のことば泉なすとき夕やみのはてに軋みて鳴る手風琴

*少年のかがやくひとみ展翅板上のみだるるなき死を閲す

 美しい詩語で描かれた綺羅なす相聞に目を開かされる。十余首全部拠出したいが、此処に列挙されている活字を、pc上で再現する技術と時間を持ち合わせていない。残念ながら割愛する。


これで「透明文法」の部を終わるが、最後に跋から少し引用しておく。

 彼の出発時に遭遇し、肝胆相照らした親友、杉原一司氏へ捧げた「水葬物語」を上梓した後、残った数多い作品群から三百首を選んで編んだのが「透明文法」であると。その際、残った夥しい作品は,杉原氏への鎮魂のため総てを破棄したと。今となっては無理からぬことだが、この破棄された歌の数々に逢いたい思いをもつものは私ばかりではないだろう。残念至極。

 まだ先は長い。気を変えて取り組んで行こう。



香柏割礼 Cantique des cantiques     彩画歌集 1976年4月  書肆季節社 刊


*藍青の旗雲しづむさかづきの底やわが愛極まれれども

*求めし愛によりて患へ花柘榴火の雫せりまだあさき夏

*時は初夏恋たまゆらに水昏れて大旱その水の上にあり

*乳香の濃きしたたりを咽喉にうく愛は愛するもの皆殺し(塵殺によく似た漢字・出せない)

*処女あそびめこの夕暮に罌粟枯れて神こそ遠き煙の柱

 字数をきちんと揃え(二十五字)全十五首並んで置いてあるのは壮観。その感じを出す為、ルビは此処では付けないで書く。しかも頭韻で、贈答者と受容者 からさわひとしとつかもとくにお と置いて在る憎い演出。



趨羽箋  北嶋廣敏著『憂愁の見者』に寄す  1976年5月  書肆季節社 刊


*憂ふるはみぬ世の春の忘れ霜ひとたびあやまちて恋ほろぶ

*愁ひなきに似たる夕べの忍冬(すひかづら)ナザレの夏いく過ぎにけむ

*のどかなる滅びの刻の初時雨髪おのづから光(て)りつつあはれ

*見し冬の 底にさわげる蔦紅葉みなぞこ千尋としつきくらき

*者ども愛に死ねと宣う皇帝(カエサル)よこころのくにの北島嶼(しま)炎ゆる

 極微を二十六字にきちんと揃えて、頭韻を踏んでの五首の贈答歌。贈られた著者の感激察するにあまり在り。こんな贈り物貰ってみたい。


此処で一段落。まだまだだが、暫し休息。




今日の歌(ナイル五月号掲載の歌)

*一月の氷雨も楽しひさかたの逢瀬のひとを待つ身 このわれ


*はや咲きの喇叭水仙楚々として奇跡のごとくうすら陽に照る


*芳しき肌えにしばし酔い居たりそはほの暗き灯にかおり顕つ


*おとがいのやや窶れたる面影に汝が二十年の歳月を識る


*懐かしき汝が眸汝が髪汝が姿などて忘れじ名残り花の香


*二十年をおなじ心に在りという老いし二人の是非も無き恋


*オリオンよ南に冴えて紫の二月のよるを永久に明かすな


*再びは咲かぬ花ゆえ薔薇一輪しみじみと香を鼻奥に留む


*歳月は容赦なく消ゆ冬ざれの夜にとめどなく溢るるが在り


*一月の極まりに散る細れ雪降りみ降らずみわが身への餞


*楚々として人在り夢の一ところ昂ぶるままに記憶を閉じぬ


*木洩れ陽に濡れ立つ影へ身を添えて香り盗るごと冬薔薇しょうび)咲く


四月号掲載歌から主宰の撰

*ライトブルーの小さいき破片呑む勇気持たず空しく屑籠へ捨つ

*課されたることにあらねど戒律のごとく今宵も熱き湯に入る

評に曰く:ほぼ秀作。


四月三十日(土)塚本邦雄の短歌 「透明文法」 

「透明文法」--『水葬物語』以前 未刊歌集 1975年12月20日 大和書房 刊

( この歌集はあまりにも有名な歌が多いので、此処では余り取り上げられない歌に向き合ってみよう)


蜉蝣紀


*眼裏にかなしみの色湛へつつ壮んなる夏のはなに對へり

 巻頭の一首 若い純粋な抒情が溢れている歌集の巻頭にしては、静かに始まる歌である。ある種の予感を滲ませながら・・・


*愚かなりしきのふのわれを言はざれば煌(字が違う)とし荒るる花薄原

  暗い抒情が心に染みる。塚本の出発点はこのような所にあったのかと思わしめる一首。


暗緑調


*さくらばな見るかげもなきわれはまたよそむきて歌ふ神の領(字が違う)歌(ほめうた)

*盛りの花見しが不幸のはじめかと天(あめ)昏き日の青葉に對ひ

 既に、巫女(男巫女)の要素がかいま見える。前歌、彼には珍しいかな書きだが、くらい抒情がうたをふかく沈めている魅力。


天の傷


*われはまたおろかにひとり瞬きて秋茄子の色冴(字が違う)ゆるを見たり

 このあたりから、植物(野菜、果物)が出没し始める。


*青紫蘇の實をはりはりと噛み散らす人に使はれていつまで生きむ

 噛み散らすが、人に掛かるのか、吾にかかるのか瞬間判断に迷う。スペースがないから、恐らく作者にかかるのだろう。このあたりから、独立心が強くなって来る。



水上正餐


*ふてぶてしかりしは昨日(きぞ)か霧白き夜の夢に移り住むデンマーク

*算術のつたなきわれにアラビアの牝馬がくはえくるし偽金貨

 この章は外遊泳がほとんど。曳きたい歌ばかり。不可解な歌も多い


八日物語(オクタメロン)

  其の一  贋旅券の話


*つまさきのきずは庭師のつねなどと言ひはるほどの粋な来し方

*新しきファラオの過去の妃らが狙ふみづうみばかりの領地

 庭師が居て、湖ばかり多い国、どこだろう。行ってみたい気がする。


  其の二  オラトリオの話


*寺院には鳴るオラトリオ 空想の戦車に轢かれたる花によせ

*爬虫(むしの字が違う)類らの卵満たせしゆりかごが河底をながれゆく 夜の海へ

 誰かが言った"稚なる詩心"がぼんやり解かる。彼独特のメルヘンか。


  其の三   墓の話


*河港出てまれにはかへりくる舟の中にしだいに老いゆく少女

*きずつける娼婦のむれが間(字が違う)をおきてよこたはりゐし地峡の街よ

 この章も殆ど”稚なる詩心”であふれている。但し、扱うものは、木乃伊,軍歌、欲望、娼婦、墓堀人夫。


  其の四   占星術の話


*議事堂の夜はみじかくはなやかな星うらなひで決める税率

*盲ひたる禁欲僧のみのらせし最初の桃の果(み)のひかる森

 この章はまったく面白い。パロディと皮肉と馬鹿馬鹿しさが横溢している。全歌載せたいが、漢字が大変。


   其の五  いむぬ・じゃぽねえず


*セザールのソナタを聴きし耳地下に腐りつつあり菊匂ふ墓地

*群衆の昏き貌見きたまゆらを桃色にひらく冬の花火

  どうも望郷の歌?穿って見ての話だが。一首目、O氏の歌集”冬の花火”の発刊時期とどうも合いそう。


  其の六   五月夜話


*縊られし家鴨(あひる)を買ふとさしいだす肌の温みを吸ひし銅貨を

*夜の旗みどりのやみに重く垂れゐたりきもろきこころの砦

 頭歌と尾歌を提示する。塚本氏らしい比喩と暗喩がちりばめてある歌が多い。


  其の七  あきひそかなる日  頭韻八首


*アヴェ・マリアああ秋ふかむ日の逢ひもあはあはし明日に剰すなき愛

*ひと待つとまひるひたひのあせひゆるひとときを振るへゐるひるがほよ

此処の八首は頭韻鎖歌である。即ち、八首の最初の文字をならべると、あきひそかなるひ となる。また、各歌は、五句の頭が揃えてある。即ち、鎖歌である。


   其の八  終りの日の別れの唄


*鉄の扉にユダ美しき聖餐の図を彫りぬにがき一生(ひとよ)のために

*婦人科の医師去りてよりさわやかに秋のあめふる奴隷海岸

 例によって頭と尾の二首を採り上げる。相変わらず比喩と暗喩の錯綜する歌に酔わされる。


 迷宮逍遥歌


*戦場のしるし真紅に地図ありき春くらき壁の死へのいざなひ

*恋くらくわがまなうらにきざせると紅茶のなかにけむる牛乳

 戦場の歌と恋の歌がなんの違和感なくならんでいる、ちょっと不気味。  


*夜の墓碑より這ひさがる蔦薔薇に縊られて愛ちかふドン・フアン 

*基地めぐる夜の薔薇園に銃眼はあまた光れり薔薇衛(まも)るため

 

この項 未完  続く



今日の歌

*観淫者の眸をあまた背に夕櫻かおれしばしはわがためにのみ


*汝がゆめに顕つすべはなしさみだれの鬱に影射す月の煌たり


*否をこそ言うなオリオン昂ぞらの涯にくれないいろの憂うつ


*帰らざる日々さながらに木蓮の香も失せたりき風のはたてに


*入水死の母子(おやこ)へ問うな爛漫の陽に染まりその頬にある笑み


続き

「森曜集」   間奏歌集 1974年11月18日  書肆季節社 刊


*緑ユウの瓦もて葺く遠き屋根に愛亡せてのち明日をちぎらむ

*朱夏もわが歯牙はすずしく草市にいもうとよほほづきは熟れたり

 緑と赤の対比が綺麗。緑瓦の小さな家に酸漿がぶら下げてある長閑な風景が見える。

  唯一つ、なぞの鍵は 歯牙=滋賀 である。

*無花果のうちなる花や前(さき)の世にわれほのぼのと命絶ちけむ

*狂言綺語(きやうげんきぎよ)ちまたは冬のあけぼのの河まがり水しばし曲らぬ

 二首ともに調べに乗って快い。


 この歌集は肉筆で書展用に作られた歌。だから全歌筆の載りのよい辞と、律のよい作で揃えてある。



「ボウ彩集」  (ボウはすすき)間奏歌集1975年5月25日  文化出版局 刊  


*消息の絶間あやふきまなかひに顕ちつつ鬱金微塵の櫻

 極めて自然の韻律で四、五句の句跨り(あまり気にならぬ)のみ。漢字だけはしっかり劃を揃えて塚本らしい。


*さしぐむは言の葉の神さりながら萌黄かすかに寒昴炎ゆ

 この歌も前歌とほぼ同様な感じ。ただ、この歌は前歌ほど歌意は通らない。


鬱金微塵と題する-解題ーから抜粋

・・・夕星(ゆふづつ)の煌めきも私には刻刻に滅びて行く遊星への悲しみの交信に見える・・・田園の荒廃は昨日のことに属する。四季もそのけぢめを喪って久しい。自然はそれを愛する人の心の中にのみ、記憶として生き続けてゐるに過ぎない。歌はその儚い存在を伝へるただ一つのよすがであらう。・・・凄じい世界に生きて人が人たることを失はぬため、最後の拠り所とした美の幻影であった・・・云々。



「寄花恋」 小歌集 1975年7月10日  書肆季節社 刊

(特殊な活字の配列にしてあり、視覚で100パーセント鑑賞するように作られている。

春 露 命 涙 母 夏 男 鳥 秋 野の十題が歌にしてある。



「摩多羅調」 間奏歌集 1975年9月25日  書肆季節社 刊


*及ばざる心の外の夕霞遺(やら)はれて若き父肩濡らす

*ホウの花見ぬ間に散らむなかぞらに命かぎろふ四月なりけり

*すみやかに去る壮年のうしろ髪されば若葉の香の乱るるを

*見ずやきみ牡牛の神の直立ちて芹川わたる夜の春の霜

*香にたちて男ひしめくはなしづめさもあらばあれたましひ騒ぐ

*ずぶ濡れの花橘にひとこゑははなむけむまたの春も逢はじと

*霹靂は刹那のかなしみを照らすかかる夜にうまるるものあはれ


頭韻が踏んである。オホスミカズヘと読める。献歌である。次の七首の頭韻と比較されたい。


*露知らぬ昨日の夢のわすれぐさ去る者の声あきらけくかな

*かきつばた一人死なずて水上へ紺青の水さかのぼるなり

*藻の花のひらかむとして鬱屈のこころの岸にあへず消ゆるも

*遠き日は水涸るる邊の水葵われよりもきみみづからに問へ

*草刈るや刈りつくさざる恋の夜の言葉はやくれなゐの縞なす

*にくしみに瞳澄むまで少年の夏群青にきはまらむとす

*男こそ樹蔭の花か遠ざかる月日の中にさやぎやまずも


お解かりだろう。頭韻はツカモトクニオである。


塚本氏の周辺については詳しくない。ただ、見事な相聞に拍手して次へ移ろう。

ただ、この後の十首の頭韻は、ウズマサノウシマツリ となっている。謎解きの鍵だ。



「透明文法」--(水葬物語)以前  未刊歌集  1975年12月20日  大和書房 刊


余りにも有名な歌集、


  (この後、明日に続く)



今日の歌

*寄るを拒む白きうなじよ痩身のわがかがまりて風を背に負う


*夢に汝が軽羅の肢態寄り添えぬわれは腋窩の陰恋うるなる


*鬱に孤独を強いられしまま影の無き鏡を秘儀のごとくに撫づ


*みづからを鎖すこころや砦とはならぬ真闇に身をしずめ臥す


*自らを涜したる掌に採る薔薇の朱けに少女ははにかみて居り


*屍体の眸は澄みいたり弱者吾の逝く道の邊に花霏々と降れ

 シカバネ


なんでもいいからコメント下さい。塚本に終日向かい合って居ると想像以上に疲れます。それを解してくれるのがコメントです。明日の論を書く為の活力にしたいのです。お願いします。


四月二十九日(金)  塚本邦雄の歌 「間奏歌集」 「小歌集」 「みかん歌集」「彩画歌集」 ②

(承前)


*水底の微光あつめしきさらぎの睡蓮死を飼ひ殺しし未練

 解かりにくい一首。直訳すると、水底からの微かな光を集めて睡蓮が飼っていた"死"を殺してしまって、それを悔しがってる、と言うことだが、睡蓮のまさに枯れなんとする風情を詠んだのだろう。


*影絵芝居ドン・キホーテの活躍を父の頭(づ)がぬきんでて邪魔する

 大抵の父親なら、子供を自分の前に置いて見物するだろうに、自分が子供のまえに居て邪魔する、と言うのだから異様な風景。世の父親と違う象に読者は戸惑う。それが狙いか?


*父の胸荒野のごとし母ならぬ幾人か愛しおほせ来し胸

  父の女性遍歴は純な少年の身にとっては辛い。多分、父の胸中は荒れ野のごとくすさんでで居るのだろうと、推測する少年のうちに籠もる情念が歌われている。


*卵黄は殻の中なる夜を睡り誕生日とふこの暗き過去

  だからわが身に思いが及ぶ時、誕生日は、むしろ暗い過去としか考えられないのだ。


*あひ識るはあひ憎むのみ夏はいまをはりの風の冷ゆる掃木(ははきぎ・字が違う)

 家族の間に複雑な冷たい風が吹きぬけている様。まえ二首とともに据えると理解が早かろう。


*沐浴ののちいつまでも乾かざる髪膚 望まれずして生(あ)れしかば

 何時までも自分の生き様を引き摺っている。おのれに省ってみる時、この思いはヤッパリ在る。


*病めば怒りやすき若者黄昏に花粉のごとき咳薬嚥み

 神経質に青筋立てて怒っている様が目に浮かぶ。何時までもはっきりしない体調にイライラしている。


*六月の水に流せるウイキョウ(漢字)油(ういきょうゆ)聖なる父に恋文が来る

 父への拘りが相変わらず出て来る。万人共通な心理状態なのかもしれない。


*阿(おもね)らず経しをわづかになぐさめとなせり雨天の撓める新樹

 久し振りにすんなり通る一首に遇った。やっぱり歌の調べはいいものとつくづく考えさせられた。


*父母うとむ心新樹の枝折れし林中にわが髪膚はにほひ

 父母への憎悪は身に纏わり付いているのだ。折に触れ出て来る。


*世阿彌忌の辻の斑猫瑠璃引きて消ゆいつの日の言葉に遇はむ

 巻末の一首、驟雨修辞学一巻は手強かった。やっと巻末にたどりついてホッとしている。


「驟雨の辞」より抜粋

 私はいくつかの未刊歌集を持ってゐる。成立以前の歌を悉く削った「水葬物語」から、綜合誌発表作のみで編んだ「装飾楽句」「水銀伝説」「日本人霊歌」「緑色研究」「感幻楽」までの六歌集の背後には、まだ人目に触れてゐない作品がほぼ同数眠りつづけてゐる。いくたびか「未刊」を「既刊」に変へようと思ひながら躊躇してゐたのは、「未刊歌集を持つ」といふ矛盾した表現の、其のつつましい豊饒感を楽しむためであったかも知れない。

 「驟雨修辞学」は{装飾楽句」期の作群であり、発表の機を喪ったまま十七年間仄暗い函底にあった歌三百首に、私は却って深い愛着を覚えてゐる。各章の標題にも、昭和二十七年一月から三十年一月までのの四年といふ私の遅くかつ暗い青春の一時期の記憶が重なる・・・云々。



是非ご批評、コメントを残して行って下さい。向後の励みになります。お願いします。
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四月二十九日(金)  塚本邦雄の歌 「間奏歌集」 「小歌集」 「みかん歌集」「彩画歌集」


「青帝集」 間奏歌集 1973年3月21日 刊 湯川書房



*われにかへればかたみに男あかつきのかたびら海のにほひただよへ

 "かたみ"の解釈に由って幾通りもの読みが出来る。此処では、素直に「朝、目が醒めると傍らに海の匂いのする男が寝ていた・・・」と読んで置こう。


*三月のきりぎしにしていきいきと母をにくめり 水は幻

 何処までも母御への執着が出て来る。水に映った幻だ、と逃げても・・


*水中に薔薇かがやくと見し刹那あかがねの香のこのはがひじめ

*触れずばつひに無染(むぜん)の男 六月の花は阿修羅の風中に消ゆ

 絶えず闘争を好み、地下や海底に棲むという阿修羅神が付き纏うようだ。薔薇のごとく美しい姿をして。



「黄冠集」 間奏歌集 1973年11月3日 刊  書肆季節社


*あかときと蚕(本字)(こ)はたまゆらの死を紡ぎ遊星の天うすべにに映ゆ

*硝子の檻は夜(よ)も夕映を遺しつつあるひはわれを愛せし死者

 雰囲気で鑑賞するより仕方ない。強いて意訳すれば、あかつきの淡い朝焼けのなか、蚕が紡ぐように短かるべき生命が生まれても、私と愛し合った時間はすぐ経ってしまい、夕方には夕映えを残しつつ死んで逝った。人生の、人の一生の儚さを詠嘆している歌。


*遠きフォーレに心溺れつ父とゐて父とわかるる日の冬霞

 なんとか父の幻影を消したくも、フォーレの抒情的なレクイエムが聞こえてくると堪らない。



「驟雨修辞学(本字)」 未刊歌集 1974年6月10日 刊 大和書房


*愛恋にもとより遠き春昏れて華燭の鐘の盗まるる唄

 結婚式の鐘を盗まれる寓話があったような気がするが思い出せない。


*白葡萄むさぼりしかば青年の内部深夜もともれるごとし

 白葡萄ではなく、単に白葡萄である事に注意。酒ならむさぼり飲めば腹中で発酵して点るのもわかる。

単なる白葡萄だと一晩で発酵は無いでしょう。だから、発酵=発光=点る の隠喩が効くのには、酒の方がピッタリだと思うが。


*われら愛をむさぼりゐしか禽獣の檻月光におぼれつつあり

 発想がよくわからない。絵としては想像出来なくもないが。


*燦燦と驟雨に逢わむ蛇皮の柄の蝙蝠傘(かうもり)を死後もかざして

 劃の多い字を並べ、視覚に訴える歌。なれば最後も 翳して とすればもっと良いのに、と思うのは此方の勝手。


*無頼の友死せり市井におそらくは黒鳥(こくてう)のごとその胸張りて

 死せり と 市井(しせい) の語呂合わせ。他に何か見えますか?


*汗の青年外しし銅の十字架に擦れ光りたるキリストの四肢

 外しし と の四肢 語呂が合いますな。あとは、映像的に想像して鑑賞するだけでしょう。


*旱の町はひりひりと昏れ薄き皮膚まとひし馬がわが邊に眠る

 この集はどうもこの語呂合わせが多い。ひでり ひりひり ひふ まとひし。


*とほざかりゆきたる神父初霜の野に退紅の傘ひらくなり

 一幅の絵画を見るよう。薄霜に装われた緑の野中に、色褪せた赤い傘を広げて、黒衣の神父が段々影を小さくしてゆく。


*黒き燕尾服を未婚のわれの身にあはす無数の仮縫の針

 この歌もイメージを楽しむ歌かもしれない。隠されているものが判らない。


*黄昏の髭剃られをり血のにじむ十指愛撫を禁じられつつ

 膝枕で髭を剃ってもらいつつ愛撫してつい払われた手に剃刀があって、指のあちこち切られ、「駄目!」と叱られている塚本氏の顔を想像するのも楽しい。


*繋がれて夏の運河をのぼりくる囚徒ら黒き花束をなす

 割合平凡な比喩、彼でもこう言う凡歌を開陳することがあること知るのも楽しい。


*消火ホースみだりに寒の道に這ふ美しき火事燃えやみしかば

 火事を美しいと捕らえるのに逡巡はなかったろうか。此処では"美しい"が歌を屹立させている。他の形容では歌が死ぬ。


*水底(みなぞこ)の微光あつめしきさらぎの睡蓮死を飼ひ殺しし未練


                                                        

(この集未完)


今日の歌

*誰彼のことふと思う春というもっともやさしき季節の果てに


*遠々の貌みずからを闇となしやがて消えゆく友の忌や明日


*予兆めく蝶の形に生れしかど雲は遠茜の火に焼かれゆく


*夫々の待つ死たがみに識るなくて蝶花にあり花蝶にあり


*啖いつつわが思うこと悔恨の空しきに似る白きマシュマロ


*背信はわが先の世の旗じるし風よ吹け夜はつねに鮮らし


*青春といわば言うべし後背の文字晒されしままの「赤光」


*春よさらば亡母在す(おわす)側の知るよしもなく遥遥と旅を北にす