keiの歌日記 -39ページ目
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三月九日(水)ナイルと氷原の作品(三月号発表)

暖かすぎる日


国立図書館へ依頼していた二十年まえの角川短歌のコピー

市立図書館へ頂きにゆく。

赤面したくなるような塚本先生の評に,今更ながら恐れ入る。

古いことは忘れて今日はやらなきゃ。

「ナイル」と「氷原」の投稿原稿を仕上げないと間に合わぬ。

題詠マラソンも十首ほど残っているし。


午後四時半やっと「ナイル」と「氷原」の投稿用に十首ほど作製

今日の歌

ナイル三月号より(抜粋)

*老ゆらくの恋とう謂のなにがなし嬉しくなりぬ善き友の文

*思いひとつ馳せゆく先にみだらなる影を落として月燦とあり

*退り行くうつし身ひとつ束の間を湯に憩わせば透ける四肢かも

*臍(ほぞ)を噛む思いあまたに過ぎ越しの夢を放ちて寝ぬる今宵も

*”かな”薫る歌碑面(つら)を挙げ木枯しに向い燦たり 今宵八一忌


氷原三月号より(抜粋)

*西に虹にわかに匂うにくしみは肉桂色なす二の腕の肉 (悉曇歌 ナ行のニ)

*寝苦しき閨に寝転び寝もやらず寝覚めうた詠む寝不足のわれ(悉曇歌 ナ行のネ)

*野いばらに野薔薇野アザミ野鶏頭野の樹を昇る野藤野育ち (悉曇歌 ナ行のノ)

*はらはらと薔薇母の辺に花散らし華々しけれ春や爛漫 (悉曇歌 ハ行のハ)

*ふるき良き故郷(ふるさと)遠し降る雪の符呪めく姿(ふり)をふと思い出づ
                          (悉曇歌 ハ行のフ)

”悉曇の歌”についてはいずれまた詳しく説明します。

  
   くたびれました。今日は此処まで。


 


三月七日 再び歌舞伎座で

今日の演目

猿若江戸の初櫓
勘太郎の踊りが素晴らしい。七之助に遅れをとっていた分を取り戻すべく猛稽古をしたのだろう。お陰で舞台がぐんと引き締まった。

②俊寛
幸四郎の俊寛、芝居は上手いがなにか心に響くものが無い。教科書的?かなあ。
魁春の千鳥が出色。情の濃い素人娘の感じがうまく出ている。段四郎の瀬尾は良かった、人(にん)にぴったり。持ち役の一つにしたら成功だろう。

襲名披露口上
お歴々の迷?名調子に場内大喜び、まづは襲名おめでとう。


一条大蔵譚
仁左衛門、玉三郎が夫婦役で気の合ったご馳走。
小山三、助五郎(傳右衛門)、という古いお弟子達の熱演、大御所雀右衛門の常盤御前という滅多に見られぬ役者連をバックに、勘三郎の熱演は眼を見張る大芝居、阿呆と普通人との微妙な変化を見事に見せてくれる。
乗りに乗ってる勘三郎。益々フアンとしての熱が入る。
今日はどうしても切符が取れず、三階席で大勢の大向こう連中に混じり、思わず大声で掛け声を出してしまう。これも楽しかった。

三月六日 歌舞伎座で

十八世中村勘三郎襲名公演

盛綱陣屋
和田兵衛秀盛(中村富十郎)七十五歳とは思えぬいい張りのある声と、盛綱(勘三郎)のやや重たいしゃがれ声との虚虚実々の応酬、芝翫扮する微妙の崇高なまでの気品にまづ圧倒された。小四郎(児太郎の名演)につい涙してしまう。
時代物ではよくある実は、と言うどんでんまでの運びが実に気持ちがいい。

保名
*菜の花の黄にむらさきの裾映えてむかし保名を仁左衛門舞う(圭之介)

鰯売恋曳綱
三島由紀夫の新歌舞伎,先代の名演をモノラルのビデオで確認してから行って見たのだが、新勘三郎、この分野では、はるかに先代を凌駕してしまった!
笑い涙をこらえようが無かった。また、玉三郎も精一杯付き合って、これまた
歌右衛門の固さ、古さを一掃した迷?演技に脱帽。

嬉しいカンクロちゃんの襲名芝居に胸一杯の感慨を抱いて劇場を後にした。

三月四日 冬に逆戻り

だい今日は床屋へ行った

寒い街

明後日、東京が心配

歌詞「ナイル三月号着信

主宰が三首取り上げてくれた

そのうちの一首

 *死は詩もて贖うべきや氷雨降る中にコクトーぶりの縊死体


 佳作。物語に客観性は薄いが広がりがある。私は、この歌から

 六十年安保闘争の時の岸上大作を思い出した。十二月の氷雨降る

 朝、ブロバリン八十錠を飲んでなお死に切れなかった岸上は、

 アパートの窓に縊死体となってぶらさ下がっていた。(評)


 取り上げられただけで嬉しい。

 

人生の終末期を迎えて、今までの短歌人生を振り返ってみるのも

一興かなとふと思った。

 折に触れて書いていくことにする。

 
 昭和二十三年(旧制中学四年生)飛騨高山へ汽車通学していた頃

国語の宿題に短歌を作って来るのがあった。

残念ながらその作品は覚えていない。ただ、先生がいたく気に入って

地方の短歌結社へ入ることを薦めてくれた。

 興味半分で投稿した。

 啄木に傾倒していた私は、一も二も無く啄木まがいの数首を出した。

 これは記録に残っている。

 *啄木の歌詠み耽るこの頃は淋しくなりぬ啄木に似て

  評:啄木のリフレインが佳い

 *石をもて追はれし人のなにがなしわが影に似るを淋しく思ひぬ

 *さばかりのこととは言へどさばかりのことに嘆きぬ君にしあれば

 
 その後受験勉強で短歌どころではなくなり、自然脱会、運良く医大

 に合格。某市へ移住、下宿生活を始める。

 大人ぶっても十九の若造、故郷に残してきたベアトリエチェ忘じが

 たく、盛んに恋歌を作っていたが、発表の場も無く、古いノートに

 記し、お蔵入り。

 *木漏れ日に影長うして君と吾ただ歩むなり野の果ての道

 *緑映ゆ夏暗くしてこの森に君と吾とは柔くひかれり

 *森をゆくふたりさみしきものありて夏の木立の風に泣きゐる


 たった一度の”逢引き”(手を握る事すらなかった!)を、

後生大事に胸に抱いて、数限りない恋歌?らしきものを濫作した

が、根暗な性格は未だに引きずっている。

閑話休題

 次回からはわがささやかな女性遍歴について書こう。時効だから?




明日、明後日と休みにします。東京歌舞伎座へ勘三郎の

襲名興行を見に行くので。 題詠マラソンも073額まででストップ

ごめんなさい。

三月三日一つの疑問

今朝少し寝過ごした。

作歌作業は夜にします。

ひとつ疑問

二日に訪問して頂いたmiw様 アドレスが不明で検索したら他のmiwさん

へ行ってしまいました。

お礼が言いたいので、もし、ご覧でしたらメルアドご教示

頂けませんか?


以上

少し時間が有るので本日の歌少々。

*わが頬を吹くは無音のかぜにして歳月はまた積みぬひと夜を

*春陽さす机(き)の上にあるあれこれを編めど成らざる挽歌恋うた

*寒梅のわれに見よとて咲くはなも白きおごりと見ゆる悲しさ

*はろばろと彼方ふるさと そを棄てし吾の為あれ春の時雨は

*帰路の子の裾たわわなる制服に思ふわがせいしゅんの貧しさ

*削がるるはわが身 あらずか滴りし血は逝きて散れ異郷の茜

三月二日(水)

今朝も寒い。
昨日の透析、二日おきにしては除水量1100
と少なかった。
水分制限はかなりうまくいっている。
歌舞伎座の切符、若鶴会より届く。
2階の最前列、よしとするか。
 題詠マラソン、017:陸 まで済んだが前途多難。
今日は025:泳 迄を目標に頑張る。


今日の作品

ふつふつと滾るものあり胸裡のよしなし事と言えどわがもの

天涯にひとりの弱きわがための声か あらずか激たりや風

ババロアは持つ存在理由 鬱うつのわれには在らぬ生存理由

検影法 為せばひとみの反照におもおゆ「倭 健」の睥睨

「心悸昂進」猛ける夜に至りのぞむ見切り値のヂギタリス


3月1日(火)いよいよ春!だけど寒い!

<
太字>3日目。

今日は透析の日、午後2時から4時間、

仰臥安静耐え難し。

でも命には代えられない。

早速今日の作品

*わが汗の香に咽びつつ夕映えのシャワールームに孤独を癒す

*喝采の無き舞台なり踊らされつつ舞ふわれとわれの屈辱

*まばたかぬ亡母(はは)こそ見ゆれ還らざる朝へ無援の夜の続くとき

*しあはせに似るほど薄きさくら貝ふふめば口にのこる潮の香

二月二十八日(月)

昨日初出、当然見てくれた人は無し。
他の人のプログを拝見すると、若い人が多いから年齢ギャップが大きい。
まあその内、短歌好きの人が見てくれることを期待してあせらず、気長に続けて行きます。
 二十数年前、角川短歌の、短歌公募館で約一年間"塚本邦雄"大先生撰で入選、佳作を続け、一度は特選に選ばれたことも有りました。
 当時のことを懐かしみながら頑張ります。
多少、塚本臭い歌が出るかもしれません。なるべく顰蹙を買わないように気をつけながら。。。

* 遺棄さるるままのわが死屍その背(せな)に高く陽の照る春の倦怠

* 水、樹には碧(あお)きしたたりわが黙の身には羅刹の薄き血となれ

* 半身をひたし眠らな月明にあさきゆめみむための アブサン

* 逝きし日の塩からき汗 少年が掌にのこすただひとつの記憶

* ユダの死よこひねがはくば共演者無き黙劇のエピローグたれ

2月27日 記念すべき初記載

題詠マラソンがいよいよ始まる。武者震いか、恐怖奮いか、かなり緊張。
手始めに一首。

*飢餓を癒すやさしき慰撫に少年は知らざりき革命の論理は

*わが背(せな}を春陽ゆるらに撫づるとき簡潔な死をおもふ俄かに
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