四月十二日 (火)雨 歌舞伎劇評(四月歌舞伎座公演)
四月十日晴れ
早朝五時半起き。一番の飛行機で東京へ向かう。
ホテルへ到着。直ちに熟睡。
午後四時歌舞伎座へ。
花道寄りの五番の席。
木挽町町たより
十日 夜の部
①毛抜
団十郎丈、大病を克服し、歌舞伎座一年ぶりの出演、客席おおいに盛り上がり、万雷の拍手。
病後の所為か力が抜け、いい演技、平成八年国立劇場出演あのビデオと比べると雲泥の差、美男の若衆へのクドキと、腰元へのそれの微妙な差が上手く出せた。
時蔵はご馳走出演とは言え、腰元役では」可哀想。団蔵が好演。
②口上
三月と殆ど変わらず、団十郎、海老蔵、七之助が初顔出し。
③
篭釣瓶花街酔醒
玉三郎、愛想尽かしの台詞のいいこと、満座の中での嘲笑、凄みあり。勘三郎、殺意を抱いた瞬間の表情の演技、吉右衛門のそれと比べてみるとよくわかる。勘三郎の凄さ。
大切りの殺しの場面、さすがの玉三郎も歳には勝てない。前は、海老反りで後頭部が床に着く激しさだったが。今はそこまではできなかった。やや寂しかったが、全面、近来にない出来だと、私は感じた。
十一日昼の部
②源太勘当
海老蔵、毛抜では、公卿役で、台詞も一つだけ。海老蔵フアンのブーイングが聞こえそうなチョイ役在っただけに、ここの彼は鬱憤晴らしの好演。勘太郎も辛抱約の主役、源太を熱演。出色だったのが母親役の秀太郎、所謂"三婆”に匹敵する大役に、初演ながら、うっとりする台詞回し、子供達への切り込み、私は大いに感動した。大切りでの所作、等々さすがは秀太郎と思わせる名演、舞台が締まった。
③京鹿子娘道成寺
勘三郎のこれは、私は初見だったから、おおいに期待したが誠に結構だった。特に、十六、七の娘になる"恋いの手習い"の部分は、彼の岳父、芝翫をも凌ぐ迫真の踊りが見事。
最後に団十郎の"押し戻し"のサービス付き。大満足の一時間だった。
③与話情浮名横櫛
仁左衛門、玉三郎という"孝玉コンビの夢の舞台に 陶然。結構でした。左団次の蝙蝠安が出色の拾いもの。
今まで見た中でも一番に挙げたい。目つきの凄み、台詞のメリハリ、分に呼応した気配りが感じられた。
左団次を見直した。
以上、襲名公演に<相応しい良い舞台だった。相変わらずの偏見、お許しを。
今日の歌
*触れ得ざるものとしなせば飾り窓の人形よりも汝は遥けし
*一閃に闇を斬る灯のけぶらいて霧は悔悟に痴れる吾に寄る
*きららかな陽を受けて在りその夏の汝や蜃気楼の中の実像(ポディティヴ)
*約定のなかりせば星墜つるとも嘆くな一夜のみの吾と汝を
*かなしみを雫する夜の鹹き雨 くちなしは純白のまま在れ
*靡けとてかぜやは媚びるごとく撫づ汝が黒髪の汗籠もる夕
*王侯のかげひそか在り しばらくを魅入る過世紀末の画帖に
*自画像を月に掲げて韃靼の兵たらざりしわが祖父よ哭け
*咲く花の香をこそ厭えさんがつの風邪(ふうじゃ) わが嗅覚の痴れざま
*容赦なき雨の激しく打つ音におののく火照り残りたる身は
四月十一日東京は雨
帰って来て記入しようとすると、長文は消えてしまいだめです。今日はあきらめます.ごめんなさい
かわりに、渡辺 保氏の懇切丁寧な劇評をお借りして記載する。
2005年4月歌舞伎座
「娘道成寺」---今が見頃の芸の花
勘三郎襲名二月目の歌舞伎座。
昼の部の披露狂言「娘道成寺」の白拍子花子がステキな出来栄えである。
ことに私が感嘆したのはそのクドキ。美しさや持ち味で見せる「道成寺」は他にやまほどあるが、これは踊りで見せるクドキである。その芸の、スケールの大きさ、豊満さ、見事さ、今が見頃の満開の桜。感動的であった。
まず上手から両手に手拭を持って出たところのしどけなさ、露も垂れんばかりの艶やかさが抜群である。続いて「恋の手習」の裏向き、後姿で決まった所で私は思わずアッと声を立てそうになった。裏向きだから当然誰でも爪先は舞台奥を
向く。ところが勘三郎は左足と腰を捻って、前向きの右足を残したまま裏になった。絶技である。その残った右足の可愛らしさ、そして皮肉な芸の味。しかもそれがケレンでもなく嫌味でもなく体がスンナリと自然にそうなった。ということは勘三郎の今度のクドキが美しさとか持ち味とかいう曖昧なものでく、体を限界まで目一杯使って空間に娘を造形しているということだろう。空間に体の形を刻み込んでいるといってもいい。その造形こそが踊りそのもの。人工の極致である。
この後の「だれに見しょとて紅カネ付きようぞ」の紅を付ける時の、濃密なしぐさ、「みんな主への心中立て」のまさに男がそこにいるかの如き姿。六代目菊五郎の「道成寺」はここで黒い男の影が見えたというが、その通り。
さまざまな女の想いから、「怨み怨みて」と鐘を見込みならクイッと気持が溢れてくるまで。いつも見慣れたクドキが、はじめて見るような別世界だった。
しかもこの芸は勘三郎の体から、これでもかこれでもかとうほど濃密に繰り出されてイキを付く暇もない。そういうとギリギリの緊迫感を想像されるかも知りないが、実はユッタリと自由にノビノビしている。
この余裕と自信が、今度の「娘道成寺」には溢れていて、どこ一つを取っても絵になっている。その絵のたっぷりした豊饒さに私はしばしば我を忘れて見惚れた。堂々たる「娘道成寺」である。今はどこも桜が満開、しし芸の花はここ歌舞伎座の舞台が一番である。
後ジテも団十郎の立派な押し戻しと並んで五分の大きさ、立派な二人立ちの錦絵になっている。これでこそ押しも押されもせぬ「十八代目中村勘三郎」。
昼の部は、この「道成寺」を挟んで前に「源太勘当」、後に「切られ与三」の
見初めと源氏店の二幕。
「源太勘当」は、海老蔵の平次が上出来。この場の主役はむろん源太だが、源太は肚に一物あって発散出来ないもたれ役、それにかわって芝居をリードするのは平次であり、さればこそこの役に座頭が出る大役である。若き日の五代目歌右衛門の源太に大先輩の七代目団蔵が平次に出たのもそのためである。
海老蔵の平次は、第一にカドカドの見得がキッパリしていい。すなわち先陣問答の「大音上げ」の竹本で、右手の扇で向うをさしての見得、つづいて扇をかざしての見得、「打ち渡って」で羽織を脱ぎかけての見得、脱いだ羽織を前に廻し
て右足を踏み出しての見得、そして再び向うを指しての見と、全てツケ入りの大時代な見得が義太夫狂言らしい面白さに富む。もっとも源太をかつら桶から蹴落としての見得がなかったのは残念。先人にはここに工夫がある。
第二に、役柄をのポイントを抑えて安っぽい敵役に徹しての手強さがいい。この若さでこの呼吸を飲み込んだのは偉いものである。
第三に、「おッかさん、お兄ィさんがいけないよ」といった子供っぽい歌舞伎の入れ事を、違和感なく、スンナリとこなしたこと。これは役柄をきちんと掴んだためと、もう一つは梶原家のホームドラマでの次男坊の我儘勝手、溺愛された末弟の気分をうまく捕えているためである。
欠点をいえば、リアルに芝居を運ぶためにとかく捨てぜりふが素になること、決まった後でフッと気が抜けることである。しかし今日の海老蔵がここまで出来たのは驚く他はない。
つづいていいのは勘太郎の源太。むろんこの難役だから
未完成で、痒い所ヘ手が届くという出来ではないが、この役はむろん、先月の、「猿若の初櫓」でも夜の部の「毛抜」の秀太郎でも、教わったことをキチンと正しくやっているのがいい。古典はこの格を守って守り抜くことによっておのづから味が出る。この辛抱が、のちの母延寿との芝居に生きている。
秀太郎の延寿は肚が薄く、その分情愛が足りない。志のぶの千鳥は、せりふ廻しといい芝居といい、義太夫味皆無で女優ッぽい。
市蔵の横須賀軍内と橘太郎の珍斎が「お塵がお塵が」をうまくやって、鸚鵡を客席によく通じさせている。
「切られ与三」は仁左衛門玉三郎のゴールデンコンビ。悪かろうはずがなく、ことに今度は見初めから源氏店と二人の恋の情感が自然にしかも濃厚に出るようになった。サラサラしているように見えて実は熟練の結果、前回よりもいい出来栄えである。勘三郎が鳶頭金五郎を付き合う。蝙蝠安は左団次、段四郎の和泉屋多左衛門。歌江の木更津の茶店の女、源左衛門の五行亭相生、菊十郎の子分がいい。
さて夜の部の披露狂言は「籠釣瓶」。勘三郎三度目の佐野次郎左衛門である。
先代勘三郎は、兄初代吉右衛門とは違って、誰からも愛される陽気な次郎左衛門をつくった。だから愛想づかしは哀れに、しかし殺しはガラッとかわって凄味になった。新勘三郎は根の深いコンプレックスを描き、一方では他人の気持に鈍感な人間像を描いている。愛想づかしがそのまま殺しにつながる。それはそれで一つの解釈には違いない。しかしそうなると先代のあの明るさは消えて陰惨にならざるを得ない。後味が悪いのも事実である。
勘三郎のうまいのは、見初めの幕切れ。「宿へ帰るが嫌になった」がガラリと場面が明るくなったような面白さ。自分の現実とはまるで違う世界にふれて、そこに光明を見出して人生観の変わった男の輝きと飛躍を示してうまい。そのあと吉原雀の合い方にのって体を動かしたりせずに、クイックイッと向うに引かれて夢中で見込んでいくイキが鮮やかである。
玉三郎の八ッ橋は初役以来の当り芸。しかしどういうわけか、今度は淡泊で生彩を欠く。ことに愛想づかしはほとんど次郎左衛門をなだめつすかしつしているように見える。
仁左衛門の繁山栄之丞がいかにも八ッ橋の間夫らしく、富十郎の立花屋長兵衛が大きく、段四郎の治六が朴訥さを見せ、魁春の九重が安定している。秀太郎のおきつは車輪になって「江戸」の気質を失う。勘太郎の七越は神妙。今度は見初めに七越の道中が上手から下手へ行くが、これでは後から出る九重、八ッ橋が損な上に、この間次郎左衛門治六が一度下手へ入るのも気が抜ける。
他に四郎五郎の客引き、源左衛門の太鼓持ち、小山三の女中、升寿の芸者が目につく。芦燕の権八、家橘と市蔵の丹兵衛丈助が手強く、松之丞と時蝶の浪宅の芝居は新作調。守若の新造もギスギスしてよくない。
この「籠釣瓶」の前に「毛抜」と「口上」。
「毛抜」は古劇には珍しいせりふ劇、しかも元禄歌舞伎の古風を残しているために、前半兎角退屈になりがちだが、今度は団蔵の八剣玄蕃、権十郎の秦民部、友右衛門の小野春道、高麗蔵の春風と口跡のいい言語明晰な役者が揃って解りや
すく、いつもほど退屈ではない。海老蔵の勅使桜町中将はこれだけの役ゆえ平凡。
団十郎の条寺弾正は、今回は余裕たっぷり。愛嬌もあって上出来。せりふの高音部で声が割れる一点を除けば、おそらくはこの人の歌舞伎十八番もの中第一の出来であろう。
時蔵の腰元巻絹は、淡彩で平凡。役の割り振りからだろうが、幕開きを右之助の若菜に代わらせるのはある例だがよくない。市蔵の小原の万兵衛。
四月八日(薄曇り)
朝から薄曇り、日曜はどうなるか心配。
実は、勘三郎の四月襲名公演の観劇に行くことにしてる。
切符も取れたし、ホテル、飛行機も予約済み。
あとは天候のみ心配。
また劇評書きます。楽しみは「娘道成寺」(実は、勘三郎
の道成寺は、ナマもビデオも見ていないのです。
「鏡獅子」と「藤娘}は、舞台を見て、感激した想いがある
ので尚更。
今日の歌
*汝が醸すものあり風に掌あつれば掌は酔いぬその遠き香りに
*わかものにあらず我なりかく惑いかく焦がれなお花に執すも
*髑髏めく顔にならばや 変節を呑み下し花たてまつる日は
*叫声の虚空へ抜けてゆくままを追えどかなわぬ確執の在りぬ
*倫乱の糸を手首に街頭へ嗚呼・・・春という季の最中に
*穏しきに病むこころ在り激しきに癒さむとして書に目くるめく
四月七日(木)曇り 暖か むしろ暑いくらい
今日透析で引かれた水分は1200cc。一日おきならそんなものと看護師さんは言ってくれるが、
1000を越すと辛い。
帰宅して心身ともに疲労困憊、家内の掃除を、と思っても、マ イイカってことになる。
却ってこの乱雑のなかのほうがいい歌が出来るなんて、変な理屈でこのまま作歌に掛かる。
今日の歌
・
*含羞の日に夜に消えて隠すべきものの少なくなるをかなしむ
・
*掌に衣を丸め春風凪がしまむ更衣というはさみしき行為
・
*憎まれていることの清々しさよアウエルバッハ叢は軋みて
・
*合歓の木に鳥ねむりたり忘れたる声は彼方の森を彷徨う
・
*青ひかる風を連ねて翔つ鳥の行方 きた わがふるさとの峰
・
*まどの外を革命のうた走りゆけどわれは孤老を疑わず居る
・
*春しぐれ夜をとおくして吊られたる提灯朱のままにつやめく
・
*夢にのみ出づる花ありリンドウのむらさき寒くかぜに騒げり
・
*暮るるまで春の陽に問うわが生くることの空への汚点の大きさ
四月六日(水)やや曇り
昨夜は良く眠れなかった。昨日の透析で1800ccの水を抜かれたのがこたえたか。
ドライウエイトが50,5kgで、透析前が52,2kgだったから、許容範囲
ではあるのだが・・・、
何もする気が湧かない。
今日の歌
*かがやかに匂やかに在れ白薔薇よかなた画帖のなかのおそ春
*闇に死すわがさだめかも春雷を受く背まぶしき君の裸身は
*時移る厳しさを知るすでにわが頬に薄墨色の見ゆれば
*こころすでに吾を離るる哀しさは告げず白薔薇咲く庭を去る
*ねんごろにレモン輪切りに刻みつつ孤り遥けき死を畏れ居る
*狭量をおのずから恥じ深更の窓に顕たしむかの眸 かの頬
*恋うほどに花は薫らず山峡の道はかぎりもなき明日へ向く
*花散らす雨に顕ちたり哀しみの余剰のごときひとつわが意志
*花はただ黙々と散るまくら辺にわれが孤独の灯をかげらせつ
*回転を止めたる観覧車のうえに赤く瞋恚のごとき「月の出」
*おのが身に纏いつくもの 浴槽にざっぱと汗と春を逝かしむ
*おとめ等の髪揺らしつつわが知らぬ青春(はる)ならむその声や耀う
*ある愛に傾ぎつつなおかげりゆく雲よ 夢追う月には寄るな
*奪われしなべて惜しむな一世とは春はしぐれの夕映えに似る
*わが死屍を飾る旗たれさくら花 散らばこそなお色匂い顕つ
*もろもろの耳わたりゆく風説の吾に届かぬ夜の長さよ
*流るるは涙かあらずとめどなき「時」の移ろうなかの悔恨
*かつて在りき ギギギギの冬 心平の詩集哀しも春深き夜は
*憂しと見し世を恋う心在りぬべし闇に耳研ぐわが身なりせば
*花へゆく風の重さに撓みつつ思おゆ些なるわが生のこと
四月五日(火) 松山で摂氏二十度
まさに陽春!
今日の歌
・
*かつて死は遠きあこがれ三月の雨に鼓動を昂ぶらせつつ
・
*汝が纏う春の装束 薄化粧われに手向けのためか 白薔薇
・
*深まれば春には重き空なれど芽吹くものみなそれぞれ強し
・
*野茨を抱くごとくに夕暮れへ影重ぬれば血噴くごとき掌
・
*死もならず生くるも倦めりしこうして春はもっとも時遅き季(とき)
・
*殴られてわが倒れたるかのときの友の涙をふと思う・春
・
*追憶はつねに美わしわれをして嘆かしむもの夜々に消え行く
・
*君知るや自死はかなしき逃避とう謂い告ぐるかの詩編・拓次の
・
*こころゆき通わぬわれや春陽なか置忘れたる他人(ひと)の思想に
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*ラジゲこそ血を被りゆけ蒼じろき犬は葦葉のなかに眠らす
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*つねに孤を盾とし生くる怯惰とも言わば言え春 夜の雨を聴く
四月四日(月) 晴れ 暖かい
桜ちらほらいい気候
午前中外出、 タクシーの窓からのチョイ見だったが、石手河畔の桜が三分咲き、なかなかいい景色。
遠くの石鎚山系の雪景色に映えて、見事。
「氷原」四月号到着。悉曇歌 その七、八(悉曇=しったんと読む)
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今日の歌 (氷原四月号掲載歌)
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*まがなしくまどろむ真夜の窓の外(と)は真冬真盛りまさに末世や
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*水ぬるむ南の冬を見詰めつつみごと旅立つ水鳥あわれ
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*結ばるる無碍の愛など無と知ればむしろ愛しき胸に棲む影
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*木犀の香に悶ゆがに腿揺するもの言わぬ犬 もう冬が立つ
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*山里のやすらぐ宿に八重雨はやすみなく降る夜気を染めつつ
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*湯に憩いゆく冬しのぶ夕ならば雪を厭うな揺るる夕月
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*夜を忍ぶ夜半に世へ寄す「寄歌」に酔えば喜びよよと寄り来る
四月三日(日)天気晴朗
海老蔵の襲名公演(平成十六年六月歌舞伎座公演)
歌舞伎チャンネルでのビデオ放映を鑑賞する。
勘九郎をはじめ、お歴々のご馳走出演に付き合って、二時間の長丁場の出ずっぱりは大変だったが、かなり固くなっての海老蔵であった。
玉三郎の揚巻が圧巻だった。歌右衛門、雀右衛門も顔色無し、生来のオーラの発する艶には圧倒された。
ナマの舞台が見たかった。
今日の歌
*春雷の背におどおどし遠近の定かならざる視野に迷う夜
*藍深き空は四月の風ながら残生一途の身は遠ざかる
*逝く季(とき)のかの日この日に再びは還れぬ条理悲しこの身は
*わが身より削がれ天空奔るかな雲と見紛う苦悶の翳り
*せいしゅんは還らざるもの黒シャツの少女露わに肌を誇るな
*汗の香に若さ溢らすおみなごを前に満ち足らざりし日を思う
四月二日(土)晴れ時々曇り
今日は「ナイル」と「氷原」(六月号)への出稿を投函。
また、「ナイル」四月号が届く。
「氷原」からは特別原稿の依頼が来る。
さあ大変、時間が無い。
早速今日の歌として「ナイル四月号」掲載の歌を書く。
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なお、先月号の歌評は、
*思いひとつ馳せゆく先にみだらなる影を落として月燦とあり
佳作。
上の句がやや具体性に欠けるが、だからといって欠点ともいえない。
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今日の歌(ナイル四月号)より
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*ライトブルーの小さき破片呑む勇気持たず空しく屑篭へ捨つ
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*課されたることにあらねど戒律のごとく今宵も熱き湯に入る
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*深々と寝入りし昨夜(きぞ)は酔い居たり夢の記憶に香るサフラン
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*覆うもの持たざるゆえに艶めけり香り昂ぶる無花被花の群
・
*夢床(むび)に顕つひとへ呆たり蒼ふかき空の真中の眸かがよう
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*Telに聴く声柔らぎてその想いそぞろ身に染む汝が香恋いしき
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*散るもあり萎ゆる葉もあり外灯の暗き街路に樹々ふるえ立つ
・
*終末のなきものがたり紡ぎつつ星へねがうはただ汝れの幸
・
*二十年(はたとせ)をわが恋いやまぬ影ならば現実(うつつ)に薫る香に酔えばなお
・
*禁断の木の実あえかな色に冴え老いてなおわが心ときめく